舌・喉頭蓋・喉頭偏位症,ADEL(Ankyloglossia with Deviation of the Epiglottis and larynx)の発見は舌小帯短縮症の観察から始まった1。舌小帯短縮症は連舌,吊り舌,舌強直症,舌拘縮症,舌癒着症,舌小帯過短症,舌小帯癒着症,舌小帯異常,舌小帯異常症,舌繋帯異常など,また英語ではTongue-tieまたはAnkyloglossiaとさまざまな呼ばれ方をしている。このように多様な呼称があるということは,この概念が混乱していたことを示している。実際,いままで舌小帯の分類についての報告が多数なされているが,これらは舌小帯をただ形態的に分けているだけである。さらに,いずれの観察も分類された舌小帯を有している人がどのような全身症状を持っているかについては全く記載が見られない。舌と全身症状との関連性については見落とされてきた。
舌小帯についての古い記録は,「醫心方(984)」に”産経”によると,と引用文献のかたちで,舌小帯短縮症が連舌という名称で記載されている6。産経は[周礼選集] 中にあり,この書は周(BC1050-256)の時代におこなわれていた諸事を記録したものである7。
醫心方によると,”もし舌小帯で舌が下顎と繋がっていて,将来,喋りにくくなると考えられた場合,爪で切る。もし血が出たら髪の毛を焼いて粉にして止血として用いる”とある。
ヒポクラテスの医学(BC460頃-375頃)にはこの疾患の記載はみあたらない。ヨ−ロッパにはアラビア医学を通じてこの疾患の概念と手術方法が入ってきたと考えられる。アラビアへは日本と同じように中国から伝わったのであろう。
紀元1世紀のケルズス(古代ローマ,紀元1世紀前後)は舌小帯短縮症について,醫心方と同じように,喋り方との関係で考えていたようである8。
舌小帯短縮症を舌小帯の異常ばかりではなく,これによる全身の症状からとらえたのはパレ(Ambroise Pare 1510?-1590,フランス)である。パレの手術は,東ローマ帝国のアヴィケンナ(930-1037)またの名をイブン・シーナ(正式名はアブ・アリ・アル・ホサイン・イブン・アブダラ・イブン・アル・ホサイン・イブン・アリ・アッサイ・アル・ライス・イブン・シーナ)が記載している舌小帯の術式を改善したものである。アヴィケンナも舌小帯短縮症を発音との関連においてしかとらえていなかった。
パレの著書には「舌癒着症の場合は舌小帯切除術だけではなく,舌を頤舌筋に至るまで口腔底から剥離したほうが良い.この手技はこれまで行われていた方法に私が加えた.」と記載されている。
パレは患者の観察をして400年以上まえに舌小帯切除術を完成した。またその上パレは舌小帯の異常だけではなく,舌小帯が見られない場合もこの手術の対象となることを見抜いていた。パレは舌小帯短縮症というこれまでの単なる言語障害から考えられていた異常に,哺乳障害と全身状態の改善という舌癒着症の概念をあたえたと言える。著者はパレの最大の仕事はこれではなかったかと考えている。
著者は1991年まで局所麻酔下での舌癒着症の手術は,先輩に教わったパレの手技であった。
16世紀以降このパレの術式はひろく一般に行われるようになり,ヨ−ロッパでは出生児のほぼ全員が舌の検査を受けることになった。この手術を受けた新生児は見違えるように生き生きして,よく笑うようになりコミュニケーションが良くなる。この違いが当時の人々にはよく分かり,受け入れられ,広まったと考えられる。
17世紀の助産婦の教科書には,出生後かならず舌癒着の有無を検査するよう記載してある。ヒエロニムス(1537-1619)によると17世紀のイタリアでは出生児全例にこの手術が行われていた。この時代に帝王切開を完成させたボ−ドロックの教科書にも,舌癒着症による哺乳障害を知らないものはいないと記載されている15。これも18世紀のイギリスの産科の本には舌癒着症の場合,おっぱいを引っ張る,こつこつ音を立てる等と書いてあり,これが出生児の1/3位にみられるとある。また舌小帯短縮症と舌癒着症との両者が記載され,切除することとある。
今世紀のはじめまで,パレの手術は洗礼を受ける日,生後3日目に助産婦によって行われていた。このころの助産婦は小指の爪を伸ばしており,それで舌小帯,もしくは舌小帯の見られない場合は,舌下部中央に切開を入れ,指で舌を頤舌筋に至るまで口腔底から剥離していた。この手技がいちばん安全な方法であることは実際に手術をしたことのある人ならばすぐにわかる。
中世という時代を乗り切るためには,新生児・乳児には,ぜひともこの手術が必要であったと考えられる。まだこの時代は,動物のミルクが新生児・乳児の代替にはなり得なかった。動物のミルク,とくに牛乳が調整されてヒトの新生児・乳児がこれで育つようになったのは今世紀にはいってからである。著者は16世紀以降,中世ヨ−ロッパの人口は飛躍的に増加し,世界へ発展して行き,次の産業革命を準備したのは,この手術が広く新生児・乳児に行われるようになったのと無縁ではないと考えている。
しかしながら,これだけ広く行われていた手術であったので中には事故もあった。1742年にプティ(Jean Louis Petit)が 2例の術後に舌が出血により腫れて死亡した症例を報告し,出血を防ぐような器具を作り報告している。また,パリ大学の小児科学教授でしかも外科学,薬理学の教授でもあったデサル(Dessartz)が「助産婦はやたらに舌を切っている。私の長い経験では切除が必要なのは1000例に1例である。切ると舌が裏がえって窒息する。」とプティの例を引用して反対をした。中世には内科医は外科医より一段上にあるとされ,しかも大学の外科医は自分では手術をせず,従僕もしくは床屋外科医を指図して手術をしていた。この手術を完成させたパレも,止血法を考案したプティも床屋外科医だった。おそらくデサル達は,その名望を妬んだ結果かと思われる。パレの本の出版には当時の大学医学部から出版を停止され裁判にまでもつれ込んで,ようよう出版さたといういわくがある。日本に伝わったオランダ医学はこのパレの医学書のオランダ語訳であった。このデサル自身では手術をしていなかったばかりか,彼の言葉は観察力の欠如を示している。
こういう輩は現在でも変わらないようである。鈴木等のADELの論文をアメリカ母乳学会雑誌(Journal of Human Lactation)に投稿した際に,査読者は「小児科と母乳コンサルタントを30年間やってきたがADELの症状のような児を一例も見ていない」さらに「一つの助産院でたった2年間で162例ものこのような症例があるのは疑問である」と掲載拒否の理由に付けられていた(舌研報 3, p69, 1993)。
1931年,スペンサー(Spenser)等,(ウエストミンスター病院,イギリスの外科医)が「この手術による効果があったとしてもそれは助産婦の忠告による心理的なもので,この手術は虐待的で危険である。」としたうえで.「パレこそが多くの赤ん坊を殺した第1歩であった。」と言い,先程のプティ の症例とパリ大学教授の頻度,さらには1897年にルブル(Reboul)がリヨンの医学会誌にやはりこの手術後の出血死の症例報告を引用している。しかし,この引用の仕方は,この手術があたかも残酷で出血して非常に危険であるかのように曲がって記述されている。ルブルの論文では,この症例は術後の止血にあらゆることをしたが,6日後についに止まらなくて死亡した症例で,原因は血友病であった。ルブルの論文の主旨は,家系に血友病がある場合は気を付けなければいけないということで,決してこの手術を止めるようには記述していない。むしろ非常に希有な症例報告である。さらにスペンサーらは「今日,舌小帯を切っている助産婦は罰せられるべきである」とも記載している。彼らは舌癒着症に対しての手術が助産婦主導でされていたのでこれに嫉妬したものと考えられる。実際,現在のイギリス連邦諸国では,助産婦が舌小帯を切ると処罰を受ける。日本においても不法医療行為とみなされている。
日本においては最近までは出生児に舌癒着症がある場合,助産婦,産科,小児科または耳鼻咽喉科医が舌小帯切除術を行っていた。しかしながら近年,小児科を中心として舌小帯短縮症は否定される方向へ進んでいる。1988年のイリングワース(Illingworth)の小児科の教科書には「今でも赤ん坊の舌小帯を切る医者がいる.これは間違いである.」と記載されている。ネルソン(Nerson)の小児科教科書 (1996)では舌小帯短縮症は正常な解剖学的異常で,親は気にするが治療の必要がないと記載されていた。さらに,1998年に調べた英文の小児科の教科書にはTongue-tieについての記載は無くなっていた。
日本小児科学会では舌小帯切除術を行わないように通達をだしている。しかしながら,これら舌小帯切除術に対する反対意見は科学的,医学的観察からのものではない。シンガー(Singer C)は「医学の歴史」 のなかで,’医学の歴史を,ギリシア人の間に起こり,無能な子孫の手にかかって滅んでいった医学の発展のあとをたどることによって,治療術において真に永遠なものは何かということを学ぶことができる。’と述べている。舌癒着症は無能な子孫の手にかかって滅んでいったという点においてはまさにこの典型であろうとおもわれる。
舌小帯切除が哺乳障害に有効であるという報告も多数ある。1948年には椎名が舌癒着症と哺乳障害の関連性を指摘,舌小帯切除により哺乳力が増加することを発表している。また,桶谷は舌癒着症児には哺乳障害のみならず身体的精神的な障害が存在することをはじめて報告し,舌小帯切除の必要性を力説し,積極的に舌小帯切除を推進した。また彼女と協力して舌小帯切除術を行ってきた清水により桶谷の観察の正しさが確認されている。しかしながら,現在の日本において小児科が公式に舌小帯短縮症はなんら身体に影響を及ぼさないと言う立場をとっているので,小児科医やそれに同調する他科の医師達から彼らはかなりの反発を受けている。
舌小帯短縮症から舌・喉頭蓋・喉頭偏位症(ADEL:Ankyloglossia with Deviation of the Epiglottis and Larynx)に至ったのは次のような経過による。著者が耳鼻科医になった当時の常識は,舌小帯短縮症は発音と吸啜にしか影響を及ぼさないというものであった。しかしながら,著者は舌小帯短縮症の新生児・乳児には軽度のチアノーゼがあり,これが舌小帯切除術で消失することに気がついていた。この観察をいつかは実証しなければならないと考えていたが,パルスオキシメーターが実用化され動脈血酸素飽和度が簡単,連続的に測定可能となった。1988年に著者も一台(Pulse Oximeter 504/504P: Criticare Systems. Inc. USA)導入,これで舌小帯短縮症の新生児・乳児の動脈血酸素飽和度を測定したところ,観察どうりに低酸素状態が確かめられ,術後は正常になった。
ちょうどわれわれがパルスオキシメーターでこの研究をはじめたころ,桶谷等に反対する小児科医が小児耳鼻咽喉科雑誌で舌小帯短縮症の手術の必要性についての詰問を掲載した。このときに著者は,もちろん手術をすべきだと回答し,はじめて舌小帯短縮症は呼吸に関係していることを述べた。回答をした中で,舌小帯短縮症を舌の運動障害よりとらえ手術すべきだとした耳鼻科医が一人と,いままでこの手術を形態上の異常により親が気にしたり,小児科や保健所などからの紹介により手術をしていた反省すると小児科に迎合した耳鼻科医が一人いた。これらの回答から,そのころの耳鼻科医の舌小帯短縮症への考え方,取り組み方,さらには耳鼻科医それぞれの身の処し方が分かって興味深い。その後,しばらくは舌小帯の手術に反対の意見が小児科,耳鼻咽喉科から雑誌に報告されている。いずれの反対論も小児学会の意向に迎合するもので,呼吸やそれによる症状を無視し,まったく科学的実証性にかけている。
いっぽう著者はパルスオキシメーターを使用して新生児・乳児の呼吸状態を計測 ,ますます手術の必要性を痛感していった。また,この論争以前に著者の周辺に舌小帯短縮症のみならず舌と吸啜障害の関係に気付きこの手術を推進していた助産婦達が桶谷以外にもいた。この人たちがわれわれの論文を読み吸啜と呼吸の関係に気づき,吸啜障害の新生児・乳児を手術のために送って来はじた。そのおかげで吸啜障害を持った児が非常に多数集まってきた。著者もパルスオキシメーターと胸郭と眼球の動きを組み込んだモニターを作成し,これら児の呼吸を片っ端から測定した。さらに片桐・永杉らの協力で出生直後から時間をおいて測定してみたりもした。その結果,ほとんどの新生児・乳児の睡眠中や吸啜中に無呼吸と低酸素状態が出現することが判明した。さらに吸啜障害児は鼻閉様呼吸音や,よく吸啜中にむせたりするするので喉頭にも異常があるのではないかと考え鼻腔からファイバースコープで喉頭を観察した。その結果,喉頭蓋と喉頭は上前方に偏位していた。この偏位は舌小帯短縮症のみならず舌小帯のない児にも観察された。また無呼吸や低酸素の出現も舌小帯の有無に関わらず同じであった。以上のような経過で,舌小帯短縮症は舌小帯の付着異常を指しているにしかすぎないことを確認,本質は舌・喉頭蓋・喉頭偏位をともなった呼吸障害であることが判明した。さらに,これが乳幼児突然死症候群と関係していることを直感した。
同じ頃,成人の女性で若いときから眠れないという主訴で受診してきた。この患者は「孫が術後よく眠るようになった。ADELは遺伝だと先生は言われた。私の睡眠障害もこれに違いない」と語った。診察してみると孫と同じように舌小帯のない高度のADELであった。術後,その患者は眠れるようになり,さらに,見違えるほど若々しくなった。この経験よりADELは新生児・乳児から成人まで影響を与えているのだと判然と悟った。ADELによる多彩な所見の記録はすべて手術を受けた人々から教えられたものである。あらためてADELの手術を受けられた方々に感謝する。
舌小帯についての古い記録は,「醫心方(984)」に”産経”によると,と引用文献のかたちで,舌小帯短縮症が連舌という名称で記載されている6。産経は[周礼選集] 中にあり,この書は周(BC1050-256)の時代におこなわれていた諸事を記録したものである7。
醫心方によると,”もし舌小帯で舌が下顎と繋がっていて,将来,喋りにくくなると考えられた場合,爪で切る。もし血が出たら髪の毛を焼いて粉にして止血として用いる”とある。
ヒポクラテスの医学(BC460頃-375頃)にはこの疾患の記載はみあたらない。ヨ−ロッパにはアラビア医学を通じてこの疾患の概念と手術方法が入ってきたと考えられる。アラビアへは日本と同じように中国から伝わったのであろう。
紀元1世紀のケルズス(古代ローマ,紀元1世紀前後)は舌小帯短縮症について,醫心方と同じように,喋り方との関係で考えていたようである8。
舌小帯短縮症を舌小帯の異常ばかりではなく,これによる全身の症状からとらえたのはパレ(Ambroise Pare 1510?-1590,フランス)である。パレの手術は,東ローマ帝国のアヴィケンナ(930-1037)またの名をイブン・シーナ(正式名はアブ・アリ・アル・ホサイン・イブン・アブダラ・イブン・アル・ホサイン・イブン・アリ・アッサイ・アル・ライス・イブン・シーナ)が記載している舌小帯の術式を改善したものである。アヴィケンナも舌小帯短縮症を発音との関連においてしかとらえていなかった。
パレの著書には「舌癒着症の場合は舌小帯切除術だけではなく,舌を頤舌筋に至るまで口腔底から剥離したほうが良い.この手技はこれまで行われていた方法に私が加えた.」と記載されている。
パレは患者の観察をして400年以上まえに舌小帯切除術を完成した。またその上パレは舌小帯の異常だけではなく,舌小帯が見られない場合もこの手術の対象となることを見抜いていた。パレは舌小帯短縮症というこれまでの単なる言語障害から考えられていた異常に,哺乳障害と全身状態の改善という舌癒着症の概念をあたえたと言える。著者はパレの最大の仕事はこれではなかったかと考えている。
著者は1991年まで局所麻酔下での舌癒着症の手術は,先輩に教わったパレの手技であった。
16世紀以降このパレの術式はひろく一般に行われるようになり,ヨ−ロッパでは出生児のほぼ全員が舌の検査を受けることになった。この手術を受けた新生児は見違えるように生き生きして,よく笑うようになりコミュニケーションが良くなる。この違いが当時の人々にはよく分かり,受け入れられ,広まったと考えられる。
17世紀の助産婦の教科書には,出生後かならず舌癒着の有無を検査するよう記載してある。ヒエロニムス(1537-1619)によると17世紀のイタリアでは出生児全例にこの手術が行われていた。この時代に帝王切開を完成させたボ−ドロックの教科書にも,舌癒着症による哺乳障害を知らないものはいないと記載されている15。これも18世紀のイギリスの産科の本には舌癒着症の場合,おっぱいを引っ張る,こつこつ音を立てる等と書いてあり,これが出生児の1/3位にみられるとある。また舌小帯短縮症と舌癒着症との両者が記載され,切除することとある。
今世紀のはじめまで,パレの手術は洗礼を受ける日,生後3日目に助産婦によって行われていた。このころの助産婦は小指の爪を伸ばしており,それで舌小帯,もしくは舌小帯の見られない場合は,舌下部中央に切開を入れ,指で舌を頤舌筋に至るまで口腔底から剥離していた。この手技がいちばん安全な方法であることは実際に手術をしたことのある人ならばすぐにわかる。
中世という時代を乗り切るためには,新生児・乳児には,ぜひともこの手術が必要であったと考えられる。まだこの時代は,動物のミルクが新生児・乳児の代替にはなり得なかった。動物のミルク,とくに牛乳が調整されてヒトの新生児・乳児がこれで育つようになったのは今世紀にはいってからである。著者は16世紀以降,中世ヨ−ロッパの人口は飛躍的に増加し,世界へ発展して行き,次の産業革命を準備したのは,この手術が広く新生児・乳児に行われるようになったのと無縁ではないと考えている。
しかしながら,これだけ広く行われていた手術であったので中には事故もあった。1742年にプティ(Jean Louis Petit)が 2例の術後に舌が出血により腫れて死亡した症例を報告し,出血を防ぐような器具を作り報告している。また,パリ大学の小児科学教授でしかも外科学,薬理学の教授でもあったデサル(Dessartz)が「助産婦はやたらに舌を切っている。私の長い経験では切除が必要なのは1000例に1例である。切ると舌が裏がえって窒息する。」とプティの例を引用して反対をした。中世には内科医は外科医より一段上にあるとされ,しかも大学の外科医は自分では手術をせず,従僕もしくは床屋外科医を指図して手術をしていた。この手術を完成させたパレも,止血法を考案したプティも床屋外科医だった。おそらくデサル達は,その名望を妬んだ結果かと思われる。パレの本の出版には当時の大学医学部から出版を停止され裁判にまでもつれ込んで,ようよう出版さたといういわくがある。日本に伝わったオランダ医学はこのパレの医学書のオランダ語訳であった。このデサル自身では手術をしていなかったばかりか,彼の言葉は観察力の欠如を示している。
こういう輩は現在でも変わらないようである。鈴木等のADELの論文をアメリカ母乳学会雑誌(Journal of Human Lactation)に投稿した際に,査読者は「小児科と母乳コンサルタントを30年間やってきたがADELの症状のような児を一例も見ていない」さらに「一つの助産院でたった2年間で162例ものこのような症例があるのは疑問である」と掲載拒否の理由に付けられていた(舌研報 3, p69, 1993)。
1931年,スペンサー(Spenser)等,(ウエストミンスター病院,イギリスの外科医)が「この手術による効果があったとしてもそれは助産婦の忠告による心理的なもので,この手術は虐待的で危険である。」としたうえで.「パレこそが多くの赤ん坊を殺した第1歩であった。」と言い,先程のプティ の症例とパリ大学教授の頻度,さらには1897年にルブル(Reboul)がリヨンの医学会誌にやはりこの手術後の出血死の症例報告を引用している。しかし,この引用の仕方は,この手術があたかも残酷で出血して非常に危険であるかのように曲がって記述されている。ルブルの論文では,この症例は術後の止血にあらゆることをしたが,6日後についに止まらなくて死亡した症例で,原因は血友病であった。ルブルの論文の主旨は,家系に血友病がある場合は気を付けなければいけないということで,決してこの手術を止めるようには記述していない。むしろ非常に希有な症例報告である。さらにスペンサーらは「今日,舌小帯を切っている助産婦は罰せられるべきである」とも記載している。彼らは舌癒着症に対しての手術が助産婦主導でされていたのでこれに嫉妬したものと考えられる。実際,現在のイギリス連邦諸国では,助産婦が舌小帯を切ると処罰を受ける。日本においても不法医療行為とみなされている。
日本においては最近までは出生児に舌癒着症がある場合,助産婦,産科,小児科または耳鼻咽喉科医が舌小帯切除術を行っていた。しかしながら近年,小児科を中心として舌小帯短縮症は否定される方向へ進んでいる。1988年のイリングワース(Illingworth)の小児科の教科書には「今でも赤ん坊の舌小帯を切る医者がいる.これは間違いである.」と記載されている。ネルソン(Nerson)の小児科教科書 (1996)では舌小帯短縮症は正常な解剖学的異常で,親は気にするが治療の必要がないと記載されていた。さらに,1998年に調べた英文の小児科の教科書にはTongue-tieについての記載は無くなっていた。
日本小児科学会では舌小帯切除術を行わないように通達をだしている。しかしながら,これら舌小帯切除術に対する反対意見は科学的,医学的観察からのものではない。シンガー(Singer C)は「医学の歴史」 のなかで,’医学の歴史を,ギリシア人の間に起こり,無能な子孫の手にかかって滅んでいった医学の発展のあとをたどることによって,治療術において真に永遠なものは何かということを学ぶことができる。’と述べている。舌癒着症は無能な子孫の手にかかって滅んでいったという点においてはまさにこの典型であろうとおもわれる。
舌小帯切除が哺乳障害に有効であるという報告も多数ある。1948年には椎名が舌癒着症と哺乳障害の関連性を指摘,舌小帯切除により哺乳力が増加することを発表している。また,桶谷は舌癒着症児には哺乳障害のみならず身体的精神的な障害が存在することをはじめて報告し,舌小帯切除の必要性を力説し,積極的に舌小帯切除を推進した。また彼女と協力して舌小帯切除術を行ってきた清水により桶谷の観察の正しさが確認されている。しかしながら,現在の日本において小児科が公式に舌小帯短縮症はなんら身体に影響を及ぼさないと言う立場をとっているので,小児科医やそれに同調する他科の医師達から彼らはかなりの反発を受けている。
舌小帯短縮症から舌・喉頭蓋・喉頭偏位症(ADEL:Ankyloglossia with Deviation of the Epiglottis and Larynx)に至ったのは次のような経過による。著者が耳鼻科医になった当時の常識は,舌小帯短縮症は発音と吸啜にしか影響を及ぼさないというものであった。しかしながら,著者は舌小帯短縮症の新生児・乳児には軽度のチアノーゼがあり,これが舌小帯切除術で消失することに気がついていた。この観察をいつかは実証しなければならないと考えていたが,パルスオキシメーターが実用化され動脈血酸素飽和度が簡単,連続的に測定可能となった。1988年に著者も一台(Pulse Oximeter 504/504P: Criticare Systems. Inc. USA)導入,これで舌小帯短縮症の新生児・乳児の動脈血酸素飽和度を測定したところ,観察どうりに低酸素状態が確かめられ,術後は正常になった。
ちょうどわれわれがパルスオキシメーターでこの研究をはじめたころ,桶谷等に反対する小児科医が小児耳鼻咽喉科雑誌で舌小帯短縮症の手術の必要性についての詰問を掲載した。このときに著者は,もちろん手術をすべきだと回答し,はじめて舌小帯短縮症は呼吸に関係していることを述べた。回答をした中で,舌小帯短縮症を舌の運動障害よりとらえ手術すべきだとした耳鼻科医が一人と,いままでこの手術を形態上の異常により親が気にしたり,小児科や保健所などからの紹介により手術をしていた反省すると小児科に迎合した耳鼻科医が一人いた。これらの回答から,そのころの耳鼻科医の舌小帯短縮症への考え方,取り組み方,さらには耳鼻科医それぞれの身の処し方が分かって興味深い。その後,しばらくは舌小帯の手術に反対の意見が小児科,耳鼻咽喉科から雑誌に報告されている。いずれの反対論も小児学会の意向に迎合するもので,呼吸やそれによる症状を無視し,まったく科学的実証性にかけている。
いっぽう著者はパルスオキシメーターを使用して新生児・乳児の呼吸状態を計測 ,ますます手術の必要性を痛感していった。また,この論争以前に著者の周辺に舌小帯短縮症のみならず舌と吸啜障害の関係に気付きこの手術を推進していた助産婦達が桶谷以外にもいた。この人たちがわれわれの論文を読み吸啜と呼吸の関係に気づき,吸啜障害の新生児・乳児を手術のために送って来はじた。そのおかげで吸啜障害を持った児が非常に多数集まってきた。著者もパルスオキシメーターと胸郭と眼球の動きを組み込んだモニターを作成し,これら児の呼吸を片っ端から測定した。さらに片桐・永杉らの協力で出生直後から時間をおいて測定してみたりもした。その結果,ほとんどの新生児・乳児の睡眠中や吸啜中に無呼吸と低酸素状態が出現することが判明した。さらに吸啜障害児は鼻閉様呼吸音や,よく吸啜中にむせたりするするので喉頭にも異常があるのではないかと考え鼻腔からファイバースコープで喉頭を観察した。その結果,喉頭蓋と喉頭は上前方に偏位していた。この偏位は舌小帯短縮症のみならず舌小帯のない児にも観察された。また無呼吸や低酸素の出現も舌小帯の有無に関わらず同じであった。以上のような経過で,舌小帯短縮症は舌小帯の付着異常を指しているにしかすぎないことを確認,本質は舌・喉頭蓋・喉頭偏位をともなった呼吸障害であることが判明した。さらに,これが乳幼児突然死症候群と関係していることを直感した。
同じ頃,成人の女性で若いときから眠れないという主訴で受診してきた。この患者は「孫が術後よく眠るようになった。ADELは遺伝だと先生は言われた。私の睡眠障害もこれに違いない」と語った。診察してみると孫と同じように舌小帯のない高度のADELであった。術後,その患者は眠れるようになり,さらに,見違えるほど若々しくなった。この経験よりADELは新生児・乳児から成人まで影響を与えているのだと判然と悟った。ADELによる多彩な所見の記録はすべて手術を受けた人々から教えられたものである。あらためてADELの手術を受けられた方々に感謝する。





